弁理士、執筆活動、大学院の客員教授…さまざまな方法で二つの国をつなぐ。インドと日本の架け橋、バパット・ヴィニット
INTERVIEWEE
株式会社サンガムIP 社長・インド国弁理士
バパット・ヴィニット
1991年 東京大学博士課程修了
1992年 - 2010年 有近・泉特許事務所、金倉特許事務所、酒井国際特許事務所勤務
2004年 - 2011年 金沢工業大学大学院 客員教授、「米国特許実務特論」担当
2010年 株式会社サンガムIP設立、インド国特許弁理士登録(PA-1691)
2011年 - 2014年 金沢工業大学大学院 客員教授、「米国特許特論」担当
2015年 - 現在 金沢工業大学大学院 客員教授、「インド特許特論」担当
2017年 日本知的財産翻訳協会主催 知的財産翻訳検定試験1級(和文英訳、電気・電子工学)合格 合格証明書 日本語 英語
2020年 Sagacious Research 株式会社のアドバイザーに就任
弁理士とは:知的財産のスペシャリストとして「特許権」「意匠権」「商標権」を取得したいクライアントのために、インド特許庁への手続きを代理することを主な仕事とする。知財の取得だけでなく、模倣品などのトラブルに関する相談も受け付けている。
特許権:程度の高い発明、技術的アイデア(例:歌唱音声の合成技術など)
意匠権:物や建築物、画像のデザイン(例:立体的なマスクなど)
商標権:商品またはサービスを表す文字やマークなど(例:会社のロゴなど)
日本語が話せるインド特許弁理士として、国内で活躍するバパット・ヴィニット氏。株式会社サンガムIPの代表取締役であり、日本企業がインドに知財を出願する際のサポートをしている。また大学院で客員教授を務めているほか、インドに関する本を3冊出版するなど、執筆活動も精力的に行っている。
幅広く活躍を続ける同氏は、1986年に日本文部省留学生として来日。東京大学の博士課程で研究を続け、修了後は特許事務所で働き始めたという。インドへの帰国や他国に行くことも可能だったであろう同氏が、なぜ日本に残ることにしたのか?バパット氏がインド特許弁理士になるまでの経緯と、現在の仕事、インドの特許事情について話を伺った。
インドのことなら全て対応可能!インド特許弁理士
—【聞き手:松嶋、以下:松嶋】はじめに自己紹介をお願いします。
—【話し手:バパット・ヴィニット氏、以下:バパット】株式会社サンガムIPの代表をしているバパット・ヴィニットと申します。インドの特許弁理士として、インドやその周辺国における知財関連業務やコンサルティングをしています。また大学院の客員教授として、インドの特許に関する講義も行っています。
—【松嶋】弁理士はそれぞれに得意な領域が異なるとお伺いしましたが、バパットさんは知財に関することは全て対応されているのですか?
—【バパット】そうですね。一般的に弁理士は専門性を生かして仕事をされている方が多いと思いますが、私の場合は特許、意匠、商標の全てに対応しています。(※1)というのも、サンガムIPは、クライアントから請け負った案件をインド現地の特許事務所に依頼するというビジネスモデルなのです。現地にいる各領域の専門家と連携することで、全ての案件に対応できるようにしています。
幅広い知識を身につける必要があるため苦労も多いですが、領域を限定してしまうとクライアントにとっても私自身にとっても大きな機会損失につながると考えているため、今後もこのスタンスを崩すつもりはありません。
—【松嶋】信念を持って、現地の弁理士と日本国内の企業をつなぐ役割をされているのですね。
—【バパット】ええ。加えて、私自身も弁理士の資格を持っているため、インドの弁理士たちが適切に対応しているかどうかの判断ができるのも特徴です。アメリカ、インド、日本という3つの国における制度の違いなどを理解しているという点も、クライアントから評価をいただいています。
—【松嶋】どこの国にいても活躍できそうなバパットさんが、あえて日本で開業することにされたきっかけはなんだったのでしょうか?
—【バパット】もともとは、留学生だったのです。現地の大学を卒業した後、1986年に日本文部省留学生として来日しました。東京大学の博士課程を修了後、3つの特許事務所で働き始めて、当時は弁理士ではなく特許技術者として書類の作成などを担当していました。
そこで特許に関する知識を身につけて、インドの特許出願が増えてきた2010年にインドの弁理士試験を受けて無事に合格したため、サンガムIPを設立しました。
—【松嶋】なぜインドの弁理士試験を受けられたのですか?
—【バパット】日本には弁理士がすでにたくさんいらっしゃいますし、1人増えてもあまりインパクトはないかなと。それよりも「日本語ができる日本在住のインド弁理士」という形にした方が、差別化できると考えたのです。
※1…インドでは特許、意匠、商標の3つのみで、実用新案の制度はない。
日本人との結婚、国内での就職を経て、2010年に独立起業を果たす
—【松嶋】ここからは過去についてお伺いさせてください。インドにいるときから、日本語は勉強されていたのですか?
—【バパット】いいえ。来日した時点では、日本語は全く話せませんでした。ただインドは多言語国家ですし、言語の習得には慣れているといいますか。英語はもともと話せるためコミュニケーションは取れていましたし、日本語の習得も比較的スムーズだったのではないかと思います。なお、博士課程を卒業した時点で日本語能力試験の1レベルに合格していて、2017年には知的財産に関する翻訳能力を測定する知的財産翻訳検定試験のレベル1に合格しています。
—【松嶋】語学力はお墨付きということですね。ちなみに、博士課程では何を研究されていたのですか?
—【バパット】日本を囲む海の地下構造について研究していました。
—【松嶋】知財とは関係のない研究をされていたところから、どのようにして特許事務所で働くことになったのですか?
—【バパット】当初はインドに帰国するつもりでした。しかし、大学院を修了するタイミングで日本国籍の方と結婚をしたため、日本で仕事を探すことにして。いろいろ調べるなかで、特許に関する仕事は技術に関する知識が必要で、かつ日本語と英語が話せると有利だとわかり、特許事務所に応募しました。そのため、最初から弁理士を目指していたわけではなく、仕事を求めて特許事務所に辿りついたという流れですね。
—【松嶋】なるほど。ちなみに、大学院ではいつ頃から教えられているのですか?
—【バパット】2004年ですので、特許事務所で働き始めて12年ほど経ったころからですね。特許事務所で働いていたころは、アメリカの企業を担当することが多かったこともあり、2004~2011年まではアメリカの特許に関する講義を担当していました。
—【松嶋】弁理士としては2010年に独立して起業したとお話しされていましたね。起業されてみて、最初はどうでしたか?
—【バパット】起業して最初の6ヶ月間は、ほとんど仕事がありませんでした。しかし、資本金が底をつきそうになったときに、良いクライアントに巡り会えたのです。クライアントから別の企業をご紹介いただいて、徐々に案件が増えていきました。そのクライアントとは現在もお付き合いをさせていただいて、本当に感謝しかありません。
そのほか、前職の特許事務所が名の知れたところであったということと、大学院での客員教授をしていたというのも大きかったかなと。日本知的財産協会でセミナーを開催したこともあり、そうした活動を続けることで少しずつ信頼を得られるようになりました。
—【松嶋】インド弁理士のネットワークは、どのようにして広がっていったのですか?
—【バパット】起業する前から現地の弁理士1人とのコネクションがあり、仕事を続ける上で自然と会社の名前がインド国内で広がっていったようです。それによって「サンガムIPと連携したい」と、向こうから声をかけてくださることが増えていきました。
成長著しいインドと日本の架け橋として、幅広く活動
—【松嶋】日本とインドでは違う部分も多いのでしょうか?
—【バパット】そうですね。制度が違いますし、そもそもの考え方や仕事の進め方にも違いがありますので、インドのことをあまり知らない弁理士は、インドの事務所とのやり取りで苦労されているかもしれません。
—【松嶋】仕事の進め方、というと?
—【バパット】例えば、インド人は「仕事の納期<仕事のクオリティ」です。納期を守ることよりも質を高めることの方が重要だと考えているため、悪気なしに納期が遅れることが多々あります。日本は基本的に納期を守る人が多いですし、そういった価値観の違いから、コミュニケーションがうまくいっていないケースは珍しくありません。
しかし、私の場合はそういった価値観の違いや性質を理解しているため、両者の間に入って案件をスムーズに進めることができます。
—【松嶋】制度でいうと、どのような違いがあるのでしょうか。
—【バパット】日本と比べると、歴史の違いは大きいですね。日本の特許制度は150年の歴史がありますが、インドは1947年までイギリスの植民地だったため、それ以前のものは全てイギリス特許なのです。国として独立してから独自の特許法が制定されましたので、歴史でいうと日本の半分ほどの年数しか経っていません。
インドにおける特許の制度は手続きがメインで、書類の内容よりも書類そのものが重要視されています。日本で出願するときと比べて必要な書類が多いため、皆さん苦労されている印象がありますね。
—【松嶋】それは意外です。日本の方が形式ばっていて手間がかかるのかと思っていました。
—【バパット】インドは特許が取得しにくい国だと言われていますし、日本の方がスムーズに手続きできると思います。
—【松嶋】なぜインドは特許が取得しにくいと言われているのでしょうか?
—【バパット】あくまで私個人の考えですが、インドで特許出願されるものの大半が海外企業からの出願だからだと思います。特許を与えるということは、海外の企業に権利を与えるということでもあります。国としては、海外企業にあまり特許を与えたくないのでしょう。
ただ、最近は少しずつ国内の出願が増えてきていて、割合が逆転しはじめています。国内の出願が増えていくと、インド政府にプレッシャーがかかりますので、現在のように手続きを拒絶するという姿勢ではなくなっていくのではないでしょうか。国内の発明者に特許を与えていく、権利を与えていくという制度に変わっていくはずですし、そうならなければいけないと思います。
—【松嶋】そういった方向に変わるのには、どれくらいの年数がかかるのでしょうか?
—【バパット】時間はかかるでしょうね。インドは民主主義ですので、一部が「いい」と思っても、別の人が「ダメ」といえばそのアイデアは採用されません。
例えば、薬に特許を与えるとその薬の値段が上がりますよね。製薬企業にとってはいいことかもしれませんが、貧しい人がその薬を買えなくなってしまう可能性もあります。そうなると、国としてはその薬に特許を与えることはできません。消費者を守るためにも、制度を変える際は、さまざまな部分のバランスを見ながら進める必要があります。
—【松嶋】お話をお伺いしていて、そういった歴史的な背景も含めて現地の事情を理解されているというのは、クライアントからしても心強いだろうなと改めて思いました。
—【バパット】ありがとうございます。私としても、クライアントの役に立てるのはとても嬉しいです。先ほどお話ししたようにインドならではの問題もありますし、クライアントにとって想定外のトラブルが発生した際に私が入ることで解決できたときは、とてもやりがいを感じますね。
あとは他の弁理士と共著という形で『インド特許実務ハンドブック』という本を2冊出版していまして、周囲から「本が非常に役立っている」というお声もいただいています。昔から「インド人が英語で書いたものを日本語に訳した本」は販売されていたのですが、「日本視点でインドに関する特許について書かれた本」というのはあまりなかったため、実務に役立てていただいているようです。
KEYPERSONの素顔に迫る20問
Q1. 好きな漫画は?
漫画は読みません。
Q2. 人情派? 理論派?
理論が6、人情が4くらいだと思います。
Q3. パン派ですか? ライス派ですか?
ライスですね。インドではあまりパンを食べることがないので。日本に来てからはパンを食べるようになりましたが、ライスの方が多いです。
Q4. 都会と田舎のどちらが好きですか?
都会ですね。便利ですから。
Q5. 保守的? 革新的?
保守的であれば現在のような仕事はしていませんし、かといって革新とは少し違うと思います。ぴったりくる表現でいうと、リベラルですね。
Q6. 好きなミュージシャンは?
特定の人はいません。国を問わず、いろんな人の歌を聴きます。
Q7. これまでに仕事でやらかした一番の失敗は何ですか?
経験の少ない方を複数人採用したこと。教育に時間がかかってしまって、コミュニケーションがうまく取れませんでした。採用のミスマッチは、事務所にもスタッフにもネガティブな影響を及ぼすのだと実感しましたね。
Q8. 犬派? 猫派?
犬派です。
Q9. 現実派? 夢見がち?
現実派です。夢は見るのですが、無謀な挑戦はしません。
Q10. 今、一番会いたい人は?
特には思い浮かびません。
Q11. 仕事道具でこだわっているのは?
これも特にはありません。
Q12. どんな人と一緒に仕事したいですか?
真面目な人がいいです。
Q13. 社会人になって一番心に残っている言葉は?
特には思い浮かびません。
Q14. 休日の過ごし方は?
メールをチェックしたり、インターネット環境を整えたり。たまに旅行にも行っています。
Q15. 好きな国はどこですか?
断然、日本です。便利かつ安全ですし、空気もキレイですよね。ワシントンD.C.に3ヶ月ほど住んでいたことがあり、アメリカも良いなと思うのですが、日本が好きですね。
Q16. 仕事の中で一番燃える瞬間は?
クライアントと打ち合わせしているときです。何か質問されて、それに回答しているときに、自分の役割を果たせていると感じます。
Q17. 息抜き方法は?
パソコンでインターネットサーフィンをしたり、YouTubeを見たり。自分でサーバーを立てているので、そのメンテナンスをするのも楽しいです。
Q18. 好きなサービスやアプリは?
YouTubeや投資用のアプリがお気に入りです。
Q19. 学んでみたいことは?
投資について学びたいですね。新刊の執筆作業を終えたところで、最近は少し時間に余裕があるので、その時間を有効活用したいなと。
Q20. 最後に一言
インドはこれから経済発展していく国ですし、マーケットとして無視すべきではないと思います。グローバル展開を考えている事業者の方は、インド市場の動向をぜひチェックしてみてください。
国内外で、可能性の多いインド市場の魅力を伝え続ける
—【松嶋】バパットさんが弁理士として活動を始められてから、業界全体ではどのような変化がありましたか?
—【バパット】私が特許技術者として働いていたときは、日本の出願数がどんどん増えている時期でした。少ししてから中国が台頭してきて、この10年は日本国内の出願数が少し減ってきています。アメリカや中国の出願数は飽和状態ですね。一方でインドは、アメリカや中国、韓国からの出願数が増えている印象があります。
—【松嶋】インドの市場は盛り上がってきているのですね。その上で、バパットさんの今後に活動について、何か考えられていることがあればお話しいただけますか。
—【バパット】もう少しで英語の本『Indian Patent Practice Handbook』を出版する予定です。この本をもとに、世界にインドの特許制度について伝えていきたいです。
あとは、ここ2~3年は執筆活動で忙しかったので、今後は日本国内での活動にも力を入れていきたいなと考えています。先ほど「インドはアメリカや中国、韓国からの出願数が増えている」とお話ししたのですが、実は日本からの出願はあまり増えていません。
市場が盛り上がっているインドをビジネスの対象にしないのはもったいないことだと思いますし、特許または商標、意匠を登録しないことによるリスクもあるでしょう。そういったことに関する情報を日本で広めていきたいですね。
—【松嶋】最後に読者へのメッセージをお願いします。
—【バパット】日本からインドに進出する際に「とりあえず現地に行ってみる」という方が一定数いらっしゃるのですが、騙される可能性もありますので、気をつけてください。最近聞いた話だと「依頼者から『この仕事ができるか?』と聞かれると、日本人は9割できると確信を持ったときに『やってみる』と答えて、インド人は3割しかできなくても『できる』と答える」という説があるのだそうです。
インド人からすると「できるだろう」と考えているので、本人は騙すつもりはありません。ただ、出来上がったものが依頼者の想像よりも低いクオリティだった場合、多くの日本人は「騙された」と感じるでしょう。
そういった考え方の違いは、知識として知っているだけでは、結果的に足をすくわれることにつながります。もし、インドでビジネスを展開しようと考えている方がいらっしゃるのなら、インドに詳しい専門家に話を聞くことをおすすめします。
【クレジット】
取材・構成/松嶋活智 撮影/原哲也 企画/大芝義信