研究者から弁理士に転身。東南アジアの発展に貢献するべく、国内外での幅広い活動を続ける田坂一朗
INTERVIEWEE
TMLO特許事務所 パートナー弁理士
田坂一朗
1977年日本ケミファ株式会社入社(研究所、市販後調査部門)
1979年~1981年東京工業大学理学部化学科(研究生)
2001年酒井国際特許事務所入所
2001年弁理士登録(第12014号)
2003年~2005年東京大学先端科学技術研究センター博士課程(知的財産)
2005年山崎法律特許事務所入所
2005年~中国黒竜江省発明協会顧問
2007年嘉悦大学経営法学部非常勤講師(知的財産権)
2008年テバファーマスーティカル株式会社入社(知財・法務)
2010年長沢特許事務所入所
弁理士とは:弁護士や税理士、行政書士と同じく、八士業に分類される職業の一つ。知的財産のスペシャリストとして「特許権」「実用新案権」「意匠権」「商標権」を取得したいクライアントのために、特許庁への手続きを代理することを主な仕事とする。知財の取得だけでなく、模倣品などのトラブルに関する相談も受け付けている。
特許権:程度の高い発明、技術的アイデア(例:歌唱音声の合成技術など)
実用新案権:発明ほど高度ではない小発明(例:鉛筆を握りやすい六角形にするなど)
意匠権:物や建築物、画像のデザイン(例:立体的なマスクなど)
商標権:商品またはサービスを表す文字やマークなど(例:会社のロゴなど)
弁理士は、知財の出願代理だけでなく、クライアントのビジネスをサポートするコンサルティングも請け負っている。TMLO特許事務所のパートナーである田坂一朗氏は、弁理士として活躍する一方で、コンサルティングの幅を広げるために専門の会社も立ち上げるなど、精力的に活動を続ける弁理士の1人だ。
もともとは製薬企業で研究職についていたという同氏は、なぜ弁理士の世界に飛び込んだのか?現在はどのような活動をしているのか?田坂氏の過去から未来の展望について話を伺った。
特許を専門としながら、コンサルタントとしても国内外で活躍
—【聞き手:松嶋、以下:松嶋】はじめに自己紹介をお願いいたします。
—【話し手:田坂 一朗氏、以下:田坂】田坂一朗(カズアキ)と申します。東京丸の内法律事務所所属の弁理士であり、TMLO特許事務所の代表パートナーとして特許を中心に扱っています。
—【松嶋】特許の場合はそれぞれに専門分野があるそうですね。田坂さんの専門分野は何になるのですか。
—【田坂】私は過去に製薬会社に勤めていたこともあり、以前は薬や医薬品を中心にしていましたが、現在はそれに加えて化学やバイオテクノロジー、医療領域におけるサービスや商品の特許などにも対応しています。医療系スタートアップにおけるビジネスモデルの特許出願を請け負うこともあります。
—【松嶋】最近は医療系のスタートアップも多いですものね。特許の出願以外には、どのような仕事をされているのですか。
—【田坂】弁護士と協力して特許権侵害における裁判の対応をすることもありますね。
—【松嶋】裁判の対応以外で、弁護士から知財に関するご相談がくることもあるのですか?
—【田坂】あります。特に企業の顧問をしている弁護士の方は知財のご相談がくることも多いようで「協力してほしい」とご連絡いただくケースも珍しくありません。
あとは、知財をビジネスに生かすために戦略を練るなど、経営に関するコンサルティングも行っています。コンサルティングについては専門の会社も所有しており、そちらで対応することが多いですね。
—【松嶋】コンサルティングというと、具体的にはどういったことをされているのですか。
—【田坂】カンボジアやタイにある法律事務所にも所属していることもあり、日本の企業が海外へ事業展開する、もしくは海外企業が日本に進出する際のサポートを行っています。例えば、現地でオフィスを置くとなった場合に、手続きを進めてもらうために対応できる人を探して依頼するといったことも行っています。
—【松嶋】カンボジアやタイの特許事務所は、どういった流れで所属することになったのですか。
—【田坂】以前から海外でも活動をしていて、ニッチな国に挑戦したいなと思い、日本人の弁理士・弁護士と協力して2020年にカンボジアに事務所を設立することになったのです。
タイについては、カンボジアにある事務所の共同経営者が現地に事務所を持っていた関係で、そちらに経営メンバーとしてジョインすることになった、という流れですね。
製薬企業での経験・知識を生かし、弁理士の世界へ
—【松嶋】過去のお話もお伺いさせてください。弁理士になる前は製薬会社に勤めていたとお話しされていましたね。製薬会社に入社したきっかけはなんだったのですか。
—【田坂】大学時代に、応用化学を学んでいたからです。私は高校卒業後に東京大学の理科一類に入学して、生化学分野に興味があったため、理学部の化学科に進みたいと考えていました。ただ、合唱団の練習に熱中しすぎたあまりに語学の単位を落とし、2年で留年してしまって……(笑)。翌年は無事に進学したのですが、点数が足りず理学部の化学科には進めなかったため、工学部の応用化学に進みました。
—【松嶋】そんな過去があったとは意外ですね。
—【田坂】当時はちゃんと勉強していない時期がありましたね(笑)。
応用化学ではバイオ領域に関連する化学について学び、研究室にも行ったりしていて、とても良い経験をさせていただきました。そこで学んだ経験を生かして、製薬会社に就職したのです。
—【松嶋】製薬会社ではどんな仕事をされていたのですか。
—【田坂】研究所でずっと新薬の開発をしていて、最後の数年は研究管理をしていました。研究管理とは、研究ポートフォリオを管理する仕事です。テーマや進捗、予算を管理すると同時に、契約書や研究所の中の特許も扱っていました。
仕事自体は楽しかったのですが、23年ほど働いたころに、新しいことに挑戦したいなと思うようになり、弁理士に転職しました。
—【松嶋】製薬会社の研究職から弁理士への転職となると、とてもギャップがあるように思います。何がきっかけだったのですか。
—【田坂】実はそこまで大きなギャップはなかったのですよ。というのも、医薬品業界は特許をとても重要視する業界なんです。私の場合は研究所で研究に没頭していましたが、社内には知財部もありました。知財部では特許の出願や訴訟の対応をしていて、同期がその部署で働いていたこともあり、製薬企業で働いている時から知財に関する仕事については把握していたんです。
—【松嶋】もともと弁理士のことをご存知だったのですね。
—【田坂】ええ。転職するなら法律関連の仕事が良いなと考えていたこともあり、知財の業界であれば過去の知識や経験を生かせるのではないかと考えました。それで特許事務所に転職して、同年に弁理士試験に合格しました。
—【松嶋】弁理士として働き始めてみて、どうでしたか。
—【田坂】知識があるだけでは通用しない世界なのだなと実感させられました。専門的な知識と同時に、特許を権利化するためのノウハウも必要とされますからね。それに、出願するための明細書を1人で作成できるようになるまでに、100件ほどはこなさないといけないと言われましたし、体験した当事者としても実感しています。
—【松嶋】論文なんかも作成できるようになるまでに、何本も書く必要があると言いますよね。
—【田坂】そうですね。実は、弁理士登録をした後に、東京大学先端科学技術研究センター博士課程に進んでいるんです。そこでも論文を書いていて、学会発表などもしていたのですが、仕事との両立が大変だったため、最終的にはドクターを取るのは諦めて単位を取ってから卒業しました。
—【松嶋】そこでは知財について研究されていたのですか?
—【田坂】ええ。あとは、弁理士になる前から関心のあった技術移転(技術を他の個人や組織に移転すること)について学ぶため、渡部俊也先生のもとで研究をしていました。そこで学んだ知財のマネジメントは、現在の仕事にも役立っています。
クライアントに伴走しながら、0→1、1→10をサポート
—【松嶋】田坂さんのように、研究者出身で弁理士をされている方も少なくないと思います。研究者と弁理士の仕事には、共通点も多いのでしょうか。
—【田坂】そうですね。最新の技術を追いながら、勉強をし続ける必要がある点では同じだと思います。また仕事という観点とは異なりますが「技術をキャッチアップし続けるのが苦ではなく、楽しいと感じられる人が向いている」というのは、研究者にも通ずるところなのではないかと。
—【松嶋】研究者は0→1、弁理士は1→10の仕事だと以前にお伺いしたことがあります。
—【田坂】それで言うと、例えば出願のご依頼をいただいた際に、特許を取得できる可能性が低いこともあります。そういった時には、特許を取得できるようにアドバイスをすることもありますし、それは「1→10」の部分に当てはまるのかもしれませんね。
弁理士として経験を積んでいくと、ある程度の話を聞くと特許が取得できる可能性があるかどうかわかるようになるんです。それは特許だけでなく、他の知財でも同じですね。確実に取得できるかはわかりませんが、経験を重ねることで判断の精度が上がっていきます。
—【松嶋】見方を変えると、0→1の部分をクライアントと伴走して、1→10の部分で出願やコンサルティングをするという形だと言えるように思います。
—【田坂】そうかもしれませんね。明細書を作ること、つまりは研究者が考えたアイデアに新規性のあるストーリーを付け加えていくというのは、0→1だと言えるかもしれません。嘘をついたり、誇張したりするということではなく、特許庁に納得してもらえるような書類に仕上げるということですね。
—【松嶋】そのストーリーによって、取得できるかどうかの結果が変わってくるものなのですか?
—【田坂】ええ。ストーリーとは、相手を説得するための材料です。特許庁では確固たるガイドラインが定められており、取得するためにはそれを越えなければいけません。ただ、知財の権利を認めるかどうかを判断するのは人間ですし、説得の仕方によって結果が変わることもあると思います。
知財部を抱えていらっしゃる大企業の場合は、社内にそういった知識のある方がいらっしゃるため、こちらから何かアドバイスすることはありませんが、個人の方だとそこまで自身でカバーするのは大変ですしね。
—【松嶋】ビジネスモデルの特許にも対応されているとお話しされていましたよね。そういった場合も、特許と同様にストーリーが重要になってくるのでしょうか。
—【田坂】種類に関係なく、特許においてストーリーは重要です。
そもそも、ビジネスモデルの特許は、画期的なビジネスモデルそのものが特許になるわけではありません。ビジネスモデルを実現するために必要となる技術の特許なんです。ここでいう技術とは、多くの場合はソフトウェアなどIT関連の技術ですね。
余談ですが、アメリカの場合はビジネスモデルそのものが特許となることもあります。それぞれの国ごとに法律が定められているのと同じで、知財の審査基準も国によって異なるんですよ。
KEYPERSONの素顔に迫る20問
Q1. 好きな漫画は?
子どものころに好きだったのは『伊賀の影丸』です。
Q2. 人情派? 理論派?
人情派なのかな。ケースバイケースですが、理論よりも人情が優先される方が良いこともあると思います。
Q3. パン派ですか? ライス派ですか?
ライス派です。朝は必ずパンを食べるのですが、体に合っているのはライスのような気がします。
Q4. 都会と田舎のどちらが好きですか?
難しいですが、田舎出身ということもあり、落ち着くのは田舎です。
Q5. 保守的? 革新的?
革新的でありたいですよね。
Q6. 好きなミュージシャンは?
沢田研二が好きで、カラオケでよく歌います。
Q7. これまでに仕事でやらかした一番の失敗は何ですか?
クライアント名を間違えたレターを発行してしまったことがあります。
Q8. 犬派? 猫派?
どちらも好きですが、強いて言うなら犬派ですね。
Q9. 現実派? 夢見がち?
現実的でありたいですが、夢みがちです。
Q10. 今、一番会いたい人は?
やっぱり明治時代の人ですね。典型的ですが、坂本龍馬とか。どういう人だったのか、会って話してみたいです。
Q11. 仕事道具でこだわっているのは?
パソコンですね。耐久性があり長く使えるもの。今はPanasonicのレッツノートを使用しています。
Q12. どんな人と一緒に仕事したいですか?
難しい質問ですね。なんでしょう……あっさりとしている人が良いのかな。
Q13. 社会人になって一番心に残っている言葉は?
「まずは実践」。よく聞く言葉ですよね。私個人としても「やってみないとわからないし、まずは動き出すことが大切」だと思っています。
Q14. 休日の過ごし方は?
今の時代には好ましくないと思われるかもしれませんが、休日と普通の日の差はあまりありません。休日かどうかに関係なく、やりたい時にやりたいことをやっている、という感じですね。
Q15. 好きな国はどこですか?
ニュージーランドには憧れます。ずいぶん昔に一度だけ行ったことがあり「自然が豊かでキレイな国だな」と思ったのを覚えています。
Q16. 仕事の中で一番燃える瞬間は?
新しい仕事を獲得したときです。
Q17. 息抜き方法は?
昼夜を問わず、疲れたらすぐ寝るようにしています。あとはちょっと飲みに行くのも好きですね。夜中にプラッと歩いて行って、ちょっと飲んで帰るとか。
Q18. 好きなサービスやアプリは?
「都バス運行情報サービス」です。バスによく乗るので、とても便利なアプリだなと思います。
Q19. 学んでみたいことは?
クメール語とタイ語です。現在は英語と中国語を使いますが、それに追加してクメール語やタイ語でも日常会話ができるくらいのレベルになりたいですね。
Q20. 最後に一言
若さを保つためには、新しいアイデアを考えるとか、頭の訓練をし続けることが大切だと思います。
東南アジアでの活動を通して、アジアの発展に貢献していく
—【松嶋】今後、弁理士としてどのような活動をされていく予定なのですか。
—【田坂】今後は東南アジアでの活動を広げていきたいですね。
もともと、2005年ごろから日本弁理士会の国際活動センターの会員として、海外に行ってセミナーをしたりしていたんです。2015年にその活動をやめてからは、日本ライセンス協会のアジアワーキンググループのメンバーとして、アジア各国の知財について調査をしています。
—【松嶋】もしかして、カンボジアに事務所を作られたのは、アジアワーキンググループでの活動がきっかけだったのですか?
—【田坂】ええ。現在は少しずつ増えてきていますが、2015年時点でカンボジアの特許はゼロだったんですよ。タイについても国としてはどんどん成長しているものの、特許はまだ少なくて。
知財は企業だけでなく国の戦略にも関わってくる領域です。今後は、さまざまな領域において大きな伸び代のある東南アジアの発展をサポートしていきたいと考えています。
—【松嶋】今後も精力的に活動されていくと。
—【田坂】そうですね。もう71歳ですので、どこまでやれるかはわかりませんが。自分が好きでやっていることですし、自分のできる範囲で、国内だけでなく海外での活動も続けていくつもりです。
【クレジット】
取材・構成/松嶋活智 撮影/原哲也 企画/大芝義信