年齢によるハードルを意に介さず、挑戦を続ける。弁理士兼中小企業診断士・藤村貴史

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INTERVIEWEE

藤村弁理士・診断士事務所 所長

藤村貴史

埼玉県生まれ 県立浦和高校卒業、東京大学工学部卒業、東京大学工学系大学院修了後、外資系事業会社と国内特許事務所勤務を経験

弁理士とは:弁護士や税理士、行政書士と同じく、八士業に分類される職業の一つ。知的財産(知財)のスペシャリストとして「特許権」「実用新案権」「意匠権」「商標権」を取得したいクライアントのために、特許庁への手続きを代理で行うことを主な仕事とする。知財の取得だけでなく、模倣品などのトラブルに関する相談も受け付けている。

特許権:程度の高い発明、技術的アイデア(例:歌唱音声の合成技術など)
実用新案権:発明ほど高度ではない小発明(例:鉛筆を握りやすい六角形にするなど)
意匠権:物や建築物、画像のデザイン(例:立体的なマスクなど)
商標権:商品またはサービスを表す文字やマークなど(例:会社のロゴなど)

弁理士試験に合格するのは、20~30代が中心だと言われている。しかし、藤村弁理士・診断士事務所の所長である藤村貴史氏は、45歳で弁理士試験に合格したという。弁理士になるまでは、外資系の事業会社で生産技術エンジニアとして、知財とは全く関わりがない人生を送っていた。

そんな同氏が、知財業界に足を踏み入れたきっかけは何だったのか?今後は何を目指すのか?弁理士になるまでの人生を紐解きながら、将来の展望について話を伺った。

生産技術エンジニア出身の弁理士兼中小企業診断士

—【聞き手:松嶋、以下:松嶋】自己紹介をお願いします。

—【話し手:藤村 貴史氏、以下:藤村】本多国際特許事務所の所属弁理士であり、藤村弁理士・診断士事務所の所長の藤村貴史です。弁理士としては化学などの領域に関する特許を主に担当しており、企業の知財部に長期派遣された経験もあります。あとは過去に外資系の事業会社で働いていたこともあり、英語が得意であるため、内外(※1)や外内(※2)も対応しています。割合としては前者が多いですね。中小企業診断士としても活動しており、弁理士よりも先に中小企業診断士の資格を取っているという珍しいバックグラウンドを持っていることは、私の売りの一つです。

—【松嶋】2024年に藤村弁理士・診断士事務所を立ち上げられたそうですが、それは何がきっかけだったのですか?

—【藤村】昨年、中小企業を支援する公的機関である中小機構の経営支援アドバイザーに登録されました。それをきっかけに、現在も所属している事務所に了解を貰ったうえで、藤村弁理士・診断士事務所を立ち上げました。この事務所は、まずは、中小企業診断士としての依頼を受け付けるための窓口との位置付けです。

—【松嶋】弁理士になる前から中小企業診断士としても活動されていたのですか?

—【藤村】いいえ。前職では外資系事業会社の生産技術エンジニアとして、さまざまなことをしていました。年間100億円以上の調達や海外赴任の経験もあります。

—【松嶋】士業とはかけ離れたところで活躍されていたのですね。前職と知財の業界とでは、勝手が違うことも多かったのではないですか?

—【藤村】そうですね。知財業界には知財業界のルールがあります。他業界での実績がどれだけあろうとも、明細書を書いたことがない人間は、明細書を書いたことがない人間として取り扱われます。最初に転職した時は、業界独自のルールに驚くこともあり、苦労もありました。

ただ今となっては、珍しいバックグラウンドを生かして多角的な視点からクライアントをサポートできるのは、私の強みになっているのではないかと思います。

—松嶋】弁理士の先生は、研究職出身の方が多いイメージがありますね。

—【藤村】おっしゃる通りで、弁理士の多くは前職で知財を扱ったことがある人が多いんですよ。私のように、弁理士になるまで知財を扱ったことがない人間は珍しいと思います。

※1……日本のクライアントが海外に出願する案件

※2……海外のクライアントが日本に出願する国内案件

事業会社での刺激的な仕事を経て、縁もゆかりもない知財業界へ

—【松嶋】ここから過去のお話も聞かせてください。学生時代はどのようなお子さんだったのですか?

—【藤村】小学校では野球に熱中していました。中高は野球部に入らず美術部で、生徒会や文化祭の実行委員などもしていました。ただ、中高で野球をしなかったことで不完全燃焼との思いがあったため、大学では準硬式野球部に入りました。

—【松嶋】学生時代からいろいろなことに挑戦されていたのですね。ちなみに大学では何を勉強されていたのですか?

—【藤村】東京大学で工業化学を専攻し、卒業後は大学院に進んで化学エネルギー工学を専攻しました。

—【松嶋】ガッツリ理系だったのですね。大学院を修了して、すぐに事業会社に就職されたのですか?

—【藤村】ええ。化学系の事業会社に就職して、本当に多くの経験をさせていただきましたね。

先ほどもお話した通り、事業会社では生産技術エンジニアとして働いていて、事業戦略を考えることにも携わっていました。ものを作るためには原材料を安く調達する必要があるため、その調達交渉もしていましたし、プロジェクトの企画から設計、管理も担当していました。20~30代で刺激的な仕事をさせていただいたことは、私の財産です。

—【松嶋】刺激的な仕事というと、具体的にはどのようなことをされていたのですか?

—【藤村】詳細はお話できないのですが、一言でいうと「本当によく働いていました」。私の場合は早期にいろいろなことを任せていただいたおかげで、成長スピードも早かったと思います。結果的に天狗になってしまって、30歳ごろには周囲からの総スカンも経験しましたが(笑)。ただ、長い社会人生活の早い段階で鼻をへし折られる経験ができたのは良かったと思っています。

あとは、会社の合併吸収などが重なり、それに伴う不条理に巻き込まれて辛い時期もありましたね。その頃は「30代までの失敗は、自分の力になることはあっても、致命傷になることはない」という言葉を支えになんとか頑張っていました。40歳前は精神的にも苦しい時期が続いていました。

—【松嶋】弁理士への転職を考えたのはその時期ですか?

—【藤村】それはもう少し後ですね。辛い時期が続いていたのですが、40歳くらいの時に中小企業診断士の資格を取得しました。中小企業診断士の資格を習得する頃には勉強する習慣がついていたので、理系の最高峰と言われていた弁理士にも挑戦してみようと思って。その時点では、知財や弁理士に関する知識はありませんでした。

—【松嶋】「弁理士になりたい」というよりは、「弁理士の資格を取得したかった」と。

—【藤村】最初の思いとしては、ね。それと何かに挑戦したいという気持ちもありました。仕事をしながら勉強していたので、結局のところ弁理士として登録されたのは、45歳くらいのときだったと思います。

—【松嶋】無事に試験に合格されて、弁理士に転職して、いかがでしたか?

—藤村】最初は大変なこともありましたが、弁理士になって良かったなと思いました。私は理系出身なのですが、文章を書くのが好きなタイプなんです。弁理士は文章をたくさん書く仕事であり、人(審査官)を納得させるような論理的な文章(書類)を作成しなくてはいけません。文章を書くことは弁理士の腕の見せ所でもありますし、「この仕事は自分に向いている」と思いましたね。

クライアントの伴走者として「自分だからできること」を追求

—【松嶋】今後は中小企業診断士の資格を生かしながら、コンサルティングにも力を入れていくというイメージでしょうか?

—【藤村】そうですね。もっと言うと、知財の価値について、クライアントと一緒に考えていきたいなと思っています。

事業戦略を考えていた身としては、経営資産や経営資源というものは、使い切らないと意味がないと思うんです。ただ現時点では、知財の価値を使い切れている会社は少ないように感じていて。

—【松嶋】それは面白い観点ですね。

—【藤村】理由はいくつもあると思うのですが、全ての弁理士がコンサルタントを得意としているわけではないというのも関係していると思うんです。

コンサルタントも中小企業診断士も、自分のことを「先生」だと思っている人はいません。伴走者としてクライアントに寄り添いながら、話を理解して整理しながらアイデアを引き出すわけですよ。

一方で、弁理士は知財を権利化をすることに長けている存在であり、「先生」という側面が強い仕事だと思うんです。「先生」である方々が「伴走者」としてコンサルティングをするのは、簡単なことではありません。専門知識を生かして相手を“正解の道に導く先生”と、“正解のない道を一緒に歩む伴走者”では、考え方が異なりますからね。

—【松嶋】「知財を取得する」と「知財を事業戦略に生かす」では、求められるスキルは異なると。

—【藤村】ええ。後者についてはコンサルタントの得意分野であり、それは私のような事業会社で事業戦略を考えていた人間が得意とする領域なのではないかと考えています。

—【松嶋】具体的にこういったクライアントと仕事をしたい、といった希望はあるのですか?

—【藤村】クライアントとの出会いはご縁だと思いますし、特定の方とお仕事をしたい、といった考えはありません。あえて言うなら、紹介をもとにご依頼いただくのが一番良いのではないかと。仕事をする上で一番大切なのは「信頼関係」だと思いますし、信頼の輪をつないでいきたいですね。

—【松嶋】コンサルタントという観点でいうと、クライアントとの信頼関係が築けているかどうかが成功の鍵にもなってきますよね。

—【藤村】そうですね。コンサルタントは、クライアントのことをどれだけ真剣に考えられるのか、が重要だと思っていて。そのためにも、さまざまな事例について勉強をしていますし、私の持っているもの全て生かして、相談にきていただいた方をサポートしていきたいと考えています。人間同士ですので相性もあると思いますが、「知財×経営」という観点でお役に立てることがあれば嬉しいです。

—【松嶋】さまざまな経験をしてきた藤村さんだからこそアドバイスできることが、たくさんあるのだろうなと思いました。

—【藤村】私は知財業界に飛び込んだのも遅いですし、「やらない後悔よりも、やった後悔を」という思いで、60歳を過ぎてから事務所を立ち上げました。そんな私だからこそできることを、これからも追求していきたいですね。

KEYPERSONの素顔に迫る20問

Q1. 出身地は?

埼玉県の大宮です。

Q2. 趣味は?

テニスが好きです。あとは50歳くらいから、学生時代に描いていた絵をまた描くようになりました。

Q3. 特技は?

宴会部長です。私自身はお酒は強くないのですが、お酒の席を盛り上げるのは得意です(笑)。

Q4. カラオケの十八番は?

最近はカラオケに行くことも少なくなりましたが、昔はシャ乱Qの「シングルベッド」をよく歌っていました。

Q5. よく見るYouTubeは?

スポーツ系のYouTubeをよく見ます。

Q6. 座右の銘は?

「いつも準備を怠らず努力し続けよ」ですかね。私は弁理士になったあとも診断士の勉強を続けていましたし、先が見えないなかでも努力を怠らずに準備し続けることで、未来が広がると実感しています。

Q7. 幸せを感じる瞬間は?

部屋のなかでボーッとしている時です。

Q8. 今の仕事以外を選ぶとしたら?

今の仕事が好きですし、別の仕事をしたいとは思いません。

Q9. 好きな漫画は?

野球をやっていたこともあり、野球漫画が好きです。昔なら『ドカベン』や『タッチ』、最近なら『バトルスタディーズ』ですかね。

Q10. 好きなミュージシャンは?

昔のJポップが好きです。一番ファン歴が長いのは岩崎宏美ですかね(笑)。

Q11. 今、一番会いたい人は?

思い浮かびません。

Q12. どんな人と一緒に仕事したい?

あまり考えたことがないのですが……強いて言うなら責任感のある人と仕事がしたいです。あと信用できない人は嫌ですね。

Q13. 社会人になって一番心に残っている言葉は?

「30代までの失敗は、自分の力になることはあっても、致命傷になることはない」です。

Q14. 休日の過ごし方は?

スポーツをして、絵を描いています。

Q15. 日本以外で好きな国は?

日本がダントツですが、昔住んでいたことがあるアメリカも好きです。あとはイギリスも好きですね。

Q16. 仕事で一番燃える瞬間は?

仕上げた原稿を読み返しているとき。自分で査読するのが好きです。

Q17. 息抜き方法は?

昔のJポップを聴いたり、紅茶やコーヒーを飲んだりします。

Q18. よく使うアプリやサービスは?

今は会計アプリですかね。

Q19. 学んでいることや学んでみたいことは?

勉強をしておかないと不安で仕事に取りかかれないという時期は過ぎましたが、知財や経営についてはずっと学び続けたいと思っています。

Q20. 最後に一言

コンサルティングの基本は「クライアントの話し相手になること」だと考えています。頭の中を整理するためには、考えていることを誰かと話すことが一番だと思いますし、話し相手として私を活用いただければ幸いです。

より良い日本を残すため、知財の活用を推進していく

—【松嶋】弁理士として、これから注力していきたいことはありますか?

—【藤村】青臭いと言われるかもしれませんが、知財を通して日本に対する恩返しをしていきたいです。私は国立大学で教育を受け、恵まれた環境でずっと生きてきました。その分、国に恩返しをしなくてはいけないのではないかと思っています。また、私には三人の娘がいますが、彼女たちのためにもより良い日本を残したいと思っています。

—【松嶋】親としては、子どもたちには幸せに生きてほしいと願うものですよね。

—【藤村】そうですね。あと、今の日本は言いたいことを言えず、日本人としてのプライドを持てない人が多いようにも感じますが、それはもったいないと思います。

私は、日本人の知恵って大したもんだと思うんですよ。社会にはいいアイデアを持った人がたくさんいるのに、現状ではそのアイデアが適切に活用されていないように思います。知財の権利を取るのであれば、また、取ったのであれば、その権利を事業戦略として活用できることがもっとあるはずです。そのためにも、悩んでいるクライアントの力になりたいと思っています。

—【松嶋】今後の藤村さんのご活躍が楽しみです。

—【藤村】「60歳のジジイが何を言っているんだ」と言われるかもしれませんが、この年齢になったからこそ、見えるものもあります。また、自分が生まれ育った国に対する愛着もありますし、恩返しをしていきたいとも思っています。そのためにも頑張っていきたいですね。


【クレジット】
取材・構成/松嶋活智 撮影/原哲也 企画/大芝義信